はてなブロガーになりたくて
はてなブロガーとは、何だろう?
はてなブロガーという言葉は、 実態の掴めない、雲のような手触りがする。
システムの勉強をしていたときに、「クライアント」「クラウドサーバー」「OS」とかなんとか言われても、語句説明はできるけれど本当は実態が掴めなかったときのように。
それは何色? 触り心地は? 暖かい? 冷たい? 笑ってる? 泣いてる?・・・・・・。
最近流行りの「note」も、私にとっては同様で。顔出ししてても顔が見えない、なにかとても浅薄な、何も持っていない人が何かを持っているふりをして、文章を垂れ流している? 文章、と呼べるのかも怪しい、危うい均衡の中で。
「note」よりは「はてなブログ」のほうが、文学的な趣があるのだろうか。価値のないものを彩って売りつけようとする乞食根性は、「はてなブロガー」にもあるのか知らん。
まぁ、そんな私の感慨と偏見は置いといて。
勤務先のSEOメディアでは、はてなブロガーに企画記事を外注している。有名はてなブロガーの単価は高く、執筆記事はサイトTOPで取り上げられる。
一応、ライターの端くれとして矜持を持って仕事をしている私は、「はてはブロガーがなんぼのもんじゃい?」と嫉妬の心を燃やしていた。ブログを書くだけで社会的評価を受ける彼らが、羨ましかったのかもしれない。
バズること。とってつけたような肩書き。「はあちゅう」だか「みやめこ」だか、薄っぺらなネット有名人には嫌悪を覚える。
だけど、先日、4月がじわりと広がる暖かい真昼。派遣社員を卒業して正社員になるという、雪国からやってきた色白巨乳の女性が、置き土産に自分のはてなブログを置いていつた。
そこには、彼女のセックス。病理。恨み、情愛、憎しみ、葛藤! 自分を痛めつけながらも、それでもパンを焼き焼きセックスをしいしい、前を向こうとする彼女の生が綴られていた。
嗚呼! 私にあんな文章が書けただろうか? 文章しか取り柄がなかったはずの、太宰治をほんとうのお母様と呼んだ文学少女だった私の、溢れるすべての感情の発露を。私は、誰かに伝えられただろうか。
正しい情報を正しく書き、論理を整えて公開する、商業原稿には随分慣れた。しかし私のライター業は、ただの一度でも、誰かの心を揺さぶったことがあるのかしら?
彼女のはてなブログには、☆がたくさん付いていた。ブックマークやコメントをいただいている記事も、あった。
正直になれよ。私もはてなブロガーになりたい。インフルエンスして一目置かれたり、バズって☆をもらったりしたいのだ。
愛すべき私の愛すべきはてなブログを始めます。いつかはあなたを驚かせてみせますので、どうぞご愛顧のほどよろしくお願いいたしますわ。